ブラック・ショールズ・モデルの基礎を、1期間の2項モデルで理解する。
2021年9月14日
金融工学が生まれた日
シカゴ大学のフィッシャー・ブラック(Fischer Black)とマサチューセッツ工科大学のマイロン・ショールズ(Myron Schole)は、Journal of Political Economy誌(1973年5-6月号)に「コールオプションの理論価格評価式」を発表した。後のノーベル賞論文だ。
その論文要旨の書き出しは、以下のようなものである。
If options are correctly priced in the market, it should not be possible to make sure profits by creating portfolios of long and short positions in options and their underlying stocks. Using this principle, a theoretical valuation formula for options is derived.
もし市場でオプションが正しく値付けされているならば、オプションのショートと原株のロングから成るポートフォリオを構築しても確実に利益を得ることはできないはずだ。この原理を使い、オプションの理論価格評価式を導く。
「この原理(this principle)」とは、アービトラージが存在しないということを意味している。 つまり、ブラックとショールズは「アービトラージの不在」という条件下で、オプションの公正価格の導出を主張したのだ。 この主張が論文の要で、今日の金融工学はここから始まったと言っても過言ではないだろう。
ブラック・ショールズ・モデル
「コールの理論価格がアービトラージ不在という条件下で、いかにして決まるか」
これが論文のテーマだと言える。これから論文の文脈に沿った形で、どのように説明されているかを見ていこう。
前提条件として主に以下の様なものを想定している。
- 現物の株券を原資産とする株券オプションの取引
- 原資産の株式は無配当
- ヨーロピアンタイプのオプションが対象
- ヘッジポートフォリオのリターンは既知の短期金利レートと等しい
カバードコール
原資産をロングし、この原資産のコールをショートして、ヘッジポートフォリオを作る戦略を「カバードコール(coverd call)」と言う。
一般的に異なる資産2つを使って「ヘッジポートフォリオ」を作るには、片方の資産価値が上がるときに、もう片方は下がるといったように逆向きに動くものを選ぶことになる。
原資産を買うと同時にコールを売ると、原資産が値上がりした時にコールはITMとなって損失が発生する。 この損失は原資産の値上がり益で相殺しようとするのがカバードコールとなる。
仮にコールの買い手が権利を行使しても、売り手は購入している原資産を売却すればよい。これがカバードコールと呼ばれる所以である。
コールの現在価値とは、ヘッジポートフォリオから利益も損失も発生しない公正価格であり、この価格においては理論上アービトラージにより無リスクの収益機会は存在しない。
ブラックとショールズは、このようなカバードコール戦略によってヘッジポートフォリオを作れることを想定した上で、コールの公正価格を理論的に評価する計算式を導いたのであった。
カバードコールを使っての導出
株券オプション取引の場合、「原株1単位のロングに対し、何単位のコールをショートすれば良いか」 がポイントとなる。
ブラック・ショールズ論文によると、ショートすべきコールの単位は以下のようになる。
$$ \frac{1}{\varDelta} $$
$\varDelta$はギリシャ文字の「デルタ」の大文字で、記号として使われる場合、変化や差という意味を持つことが多い。 オプションに関する理論では、デルタは以下のように定義される。
$$ \varDelta = \frac{オプション価格の値動き}{原資産価格の値動き} $$
設定
- 現在、原株は1単位あたり800円で取引されている
- 原株は無配当である
- コールの権利行使価格は800円である。(ATM)
- コールの現在価値を「C」とする
- オプションはヨーロピアンタイプで満期まで1年ある
- 満期までの短期金利レートは年率10%で道中変動しない
原資産価格の値動き
$\varDelta$はオプションと原株の値動きによって決まる。現在800円の株価が、1年をどのような価格となっているかを「変化率」を使って表現する。 変化率を使って株価をシミュレートするわけだ。
- 1年後の株価の上昇率は50%
- 1年後の株価の下落率は50%
上記のように想定した場合、現在800円で取引されている株価が満期において取りうる価格は、以下の2通りとなる。
- 満期に株価が上昇した場合:1200円
- 満期に株価が下落した場合:400円
オプション価格の値動き
コールはヨーロピアンタイプであるため、満期日において権利行使によって発生する本質的価値がコールの最終価値となる。 コールの本質的価値は、満期の株価をS、権利行使価格をKとすると、以下のようになる。
$$ max(S-K, 0) $$
原資産価格が800円と時にATMのコールをショートした。 コールの満期日における価値を、上昇と下落の2つのシナリオにおいてシミュレートすれば以下のようになる。
株価(S)が1200円に上昇した場合:
$ max(S-K, 0) = max(1200 - 800, 0) = max(400, 0) = 400$
株価(S)が400円に下落した場合:
$ max(S-K, 0) = max(400 - 800, 0) = max(-400, 0) = 0$
デルタの計算
今、原株が上昇したケースと下落したケースの2つのシナリオを考えている。 もともと800円であった原株が上昇して1200円となったケースと、下落して400円になったケースだ。
派生商品であるオプション(コール)も、原株の値動きに影響され、上昇して400円と、下落して0円と変化した。
「このコールのもともとの価格っていくら?」
これが求めたい公正価格である。論文の出発点は「原株1単位のロングに対して、何単位のコールをショートすれば良いか」であった。 これはデルタが分かれば計算できるので、上記の式に当てはめて眼が得ていると、
$ \varDelta = \frac{オプション価格の値動き}{原資産価格の値動き} $
$ \varDelta = \frac{400-0}{1200-400} $
$ \varDelta = \frac{400}{800} $
$ \varDelta = \frac{1}{2} $
となる。この比率のことをファイナンスの世界では「ヘッジ比率(hedge ratio)」と呼ぶ。
ヘッジポートフォリオ
- 1単位の株をロングする
- 現在の株価は800円
- 計算したヘッジ比率に従い、2単位のコールをショートする
- コールの権利行使価格は800円
株価が上昇した場合
原株の価値 | 1200円 x 1単位 |
コールの価値 | -400円 x 2単位 = -800円 |
合計 | 1200円 - 800円 = 400円 |
株価が下落した場合
原株の価値 | 400円 x 1単位 |
コールの価値 | 0円 x 2単位 = 0円 |
合計 | 400円 - 0円 = 400円 |
カバードコール戦略により構築されたヘッジポートフォリオは、株価が上昇しようと下落しようと、その将来価値は同じく400円となる。
コールの公正価格
いずれのケースにしろ、カバードコール戦略により構築されたヘッジポートフォリオの「将来価値」は400円であった。 では、「現在価値」はいくらなのか。これが分かれば、自ずとコールの公正価格も知れるはずだ。
この考えが理論価格モデル導出する当論文の肝となる。「カバードコール戦略によって作られたヘッジポートフォリオがもたらすリターンは短期金利レートに等しい」とも表現できるだろう。
現在価値に割り引く
ここで耳慣れない「現在価値に割り引く」という考えてに触れておこう。現在価値(PV)と将来価値(FV)は以下のような関係にある。 ここで「r」は金利で、「t」は時間を表す。
$$ PV(1 +r)^{t} = FV $$
rに短期金利レート、tに満期までの1年を代入する。tは年ベースが用いられるのが一般的だ。 この式は両辺を「1 + r」で割ることで、以下のように書き直せる。
$$ PV = \frac{FV}{1+r} $$
PV(現在価値)は、FV(将来価値)を「1 +r」で割った値(割り引いた値)と言える。 このような現在価値の計算方法を「将来価値(FV)を短期金利レート(r)で現在価値(PV)に割り引く(discount)」と言う。
ブラック・ショールズ論文では、これを同様の論理が使われた。 つまり、「アービトラージが存在しないならば、ヘッジポートフォリオの現在価値は、ヘッジポートフォリオの将来価値を短期金利レートで現在価値に割り引いた値と等しいはずだ」ということだ。
コール
ヘッジポートフォリオの現在価値は、ヘッジポートフォリオの将来価値を「1 + r」で割ることで求まる。
ヘッジポートフォリオの現在価値を以下のようにあらわす。
$$ 1単位の原株 - \frac{1}{\varDelta} \cdot C $$
後半部分は「コール(C)を1/$\varDelta$単位ショートする」という意味で、負の符号はショートポジションを示している。「・」は掛け算の記号である。
原株は1単位当たり現在800円で売買されており、この価格を式に代入する。 1/$\varDelta$は、上記で計算したように2である。
$$ 800 - 2C = \frac{400}{1 + r}$$
短期金利レートは、前提により10%であるので、r=0.1を右辺の分母に代入する。
$$ 800 - 2C = \frac{400}{1 + 0.1}$$
この式をCについて解けば、求めるコールの現在価値、つまり理論上の公正価格(fair price)が分かる。
$$ C = 218.18円 $$
プット
プットの公正価格は「プット・コール・パリティ(put - call parity)」で計算できる。
$$ \frac{K}{(1+r)^{t}} - S - P + C = 0 $$
これは複利計算によってK(権利行使価格)を現在価値に割り引いたときのプット・コール・パリティである。
K | 800円 |
r | 0.1 |
t | 1 |
S | 800円 |
C | 218.18円 |
で、唯一分かっていない値は、P(プットの価格)だけである。 これらを式に代入すると、
$$ \frac{800}{(1.1)} - 800 - P + 218.18 = 0 $$
となり、これをPについて解くと、プット価格(P)は、
$$ P = 145.45円 $$
と求めることができる。
ポートフォリオの価値
カードコール戦略によって構築されたポートフォリオを「キャッシュフロー」の観点から見ると以下のようになる。
株式 | -800円 x 1単位 = -800円 |
コールオプション | 218.18円 x 2単位 = 436.16円 |
合計 | -363.64円 |
このポジションを構築するには363.64円の現金が不足していることになる。 この不足分の現金を借金により調達する。 この時の金利は前述のとおり10%だ。 ZCX 必要になる資金363.64円を1年間10%の金利で借りた場合、最終的な返済額はいくらになるのか。 金利計算式を使い計算する。
$ PV(1 +r)^{t} = FV $
$ PV(1 +r)^{t} = 364.64(1 + 0.1)^{1} = 364.64(1.1) = 400 $
最終的な返済額は400円となり、ポートフォリオの将来価値とイコールとなる。 原株が1200円に上昇しても、400円に下落しても、ポートフォリオの将来価値は同様に400円であった。
コールの価値がマーケットで公正に値付けされているのならば、ヘッジポートフォリオの現在価値は満期時の将来価値と等しくなる。 原株が上がろうと下がろうと、ポートフォリオの価値は不変であり、ニュートラルということだ。
「アービトラージによる収益機会は存在しない」という前提条件の意味はこれである。
公正価格
公正価格とは、市場での需給関係がマッチしている「均衡価格(equilibrium price)」であると言える。
もし、ヘッジポートフォリオを構築するのに必要な363.64円を金利10%ではなく金利5%で調達することができるならどうなるだろう。 最終的な返済額は381.82円となる。
$ PV(1 +r)^{t} = 364.64(1 + 0.05)^{1} = 364.64(1.05) = 381.82 $
株価が上昇した場合
借金の返済 | -381.82円 |
原株の売却 | 1200円 x 1単位 = 1200円 |
コールが権利行使される | -400円 x 2単位 = -800円 |
合計 | 18.18円 |
株価が下落した場合
借金の返済 | -381.82円 |
原株の売却 | 400円 x 1単位 = 400円 |
コールが権利行使されない | 0円 x 2単位 = 0円 |
合計 | 18.18円 |
仮に金利5%で資金調達に成功すれば、原株が上がろうと下がろうと、18.18円の利益が出ることになる。 つまり、無リスクでの収益機会だ。
であるなら、アービトラジャー(arbitrager)は、5%で資金を調達し、カバードコール戦略を大量に執行するだろう。 この時、大量のコールが売られることになる。
この収益機会はコールが公正価格より高く取引されているために発生する。 218.18円の値をつけていたコールは、大量の売りにより値下がりし、209.52円になったところで収益機会は消滅する。
ヘッジポートフォリオのリターンが短期金利レート(r)に等しくないならば、オプションの価格はミスプライスとも言える。 アービトラジャーはそこを確実に突いて利益を獲得する。 しかし、ミスプライスは市場の力によって調整され、ポートフォリオのリターンは短期金利レートの水準に収斂していくことになる。
参考図書