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【書評】『活眼 活学』安岡正篤著

安岡教学の真髄が平易に説かれた入門書。初版から35年の時を経て、増補新販が刊行されました。


2021年4月2日

活眼 活学

言葉に力が宿ることを言霊(ことだま)と言ったりします。 口から発せられる言葉だけでなく、紙面上の文字にも力は宿るので、読むだけでエネルギーが湧いてくるような本があるのです。 今回は、そんな言霊がぎゅっと凝縮された書籍を紹介します。

安岡正篤著『活眼 活学』。上の画像は2020年に発行された増補新販です。

安岡先生は東洋哲学の大学者であり、偉大な教育者でもあります。 1983年(昭和58年)に逝去されておりますが、今なお多くの人に影響を与える昭和を代表する人物です。

少にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。 (佐藤一斎)

正に「死して朽ちず」の人物であります。

多くの本を出版されていますが、広く読まれているのは数々の講演録でしょう。 『活眼 活学』も、その内の1冊です。

この本の要約は非常に難しいです。心に響く言葉だらけで、重要部分に焦点を合わせるにしても、どこに合わせれば良いのか分からない。 それほど珠玉の言葉がつまった本なのです。

ちょっとハードルは高め

ただ読者を選ぶ本かもしれません。私は割と本を読む方だと思うのですが、それでもスラスラと読むことは難しいです。 内容が深いからというのもありますが、言葉遣いにも原因がありそうです。

  • 言葉遣いが古い
  • 日常的に使われない難しい言葉も多い

概念的な話があって、それを補足する具体例が続くというのは、よくある文章の構成です。 具体例は読者の理解を促すためのものですが、この本の具体例は歴史(特に中国)を知らないと頭に入ってこないものが多いです。

ちょっと現代人にとってはハードルが高いので、ある程度の下地が無いと読みこなすのが難しいと言えます。

下地を作る

安岡先生の本には古典からの引用が数多くあります。古典に対する素養があれば、安岡教学への理解も深まるはずです。

古典から学べることは非常に多いはずですが、日本人はあまり古典を読みません。その理由は、使っている言葉の違いにあると思います。

東洋哲学は漢文で書かれています。上で挙げた日本の佐藤一斉(江戸末期)の言葉にしても元は漢文です。 書き下し文になっていても古臭さを感じ、最近流行りの「超訳」は言葉の重みが感じられません。

古典に書かれていることは間違いなく有益なものだという直感が働きます。だから、何としても読みこなし理解したい。 そのためには、慣れも必要ですし、周辺知識も必要となります。

古典に親しむための下地を作るべく、こんな本も読みながら勉強を進めています。

精講 漢文』前野直彬著。もともとは高校生向けの漢文参考書であったようですが、それを一般読者向けに文庫で再版したものです。

漢文の講義と言えど、文法や言葉の解説だけではなく、

  • 中国の歴史
  • 古典を読むための前提知識

などについても十分なボリュームを割いており、私の様な古典初心者が持っていて損はない本です。

本の内容

話がわき道に逸れたので、『活眼 活学』の話に戻します。

本書には人生の指針となる考えが多く紹介・解説されています。本当に骨身に染みる考えばかりです。

考えに古臭さは全くありません。 逆に、半世紀近くも前の本にも関わらず現代の様相をズバリと突いている記述もあります。

新しい民族主義

かつて世界を隔てていた「距離」が、交通や通信の発達により消滅しつつあります。 インターネットの出現と普及は、その流れを決定的にしたと言えるでしょう。

こういった潮流を象徴するのが「グローバル化」という言葉です。 垣根を無くして一つにという方向に世界は進んでいます。

このような傾向は第一次世界大戦の後にも起こったそうです。 それはナショナリズムを否定するインターナショナリズムの意味合いが強かったとのこと。 つまり、過度な国民主義・民族主義を否定する動きとして起こったのでした。

現在のグローバル化は様相が異なります。 グローバル化の流れがまずあって、そこにナショナリズムの考えが台頭してきたのです。

2020年の米大統領選で敗れたトランプ元大統領が掲げた言葉の1つは「America First」でした。 日本でも「保守」であるとか「右派」といった言葉をよく耳にするようになりました。

これらはグローバル化を否定する形で起こったものなのでしょうか?

確かに、そういった面はあるのでしょう。しかし、『活眼 活学』を読んで、それだけではないと思うようになりました。

今のグローバル化の向かっている先は「世界の均質化」であるような気がしてなりません。 過度なポリコレなどはこれの最たるものでしょう。

しかし、真のグローバル化とはそのようなものではないのです。

世界を統一するということは、例えばその辺りの樹木をみんな切ってしまって、砂漠にしてしまうことではないのですから、 それこそ百花爛漫の花園なり、森なり、花なりを作ることなんですから。

統一後の世界は、無個性の集まりではなく、個性を尊重する集まりであるべきです。 間違った方向に進んでいるグローバル化の軌道修正をしたいというのが、ナショナリズムが台頭してきた理由の1つでしょう。

本当の立派な木になるためには、立派な松になるか、梅になるか、杉になるか、何らかの個性を通じなければなり得ない。 そうでない木などというものは観念的存在にしか過ぎません。

グローバル化した世界を森に例えるなら、そこで育つ樹木が人間となります。 「観念的な木」が集まっても森にはなりません。豊かな森を作るには、様々な種類の「具体的な木」が協調し合って森を育てていかねばなりません。

真のグローバル化は、排他的なナショナリズムではなく、洗練されたナショナリティを持った様々な国の人間が同じ方向を向かないと達成できない。 昨今のナショナリズムの台頭は、グローバル化を否定するだけのものではなく、真のグローバル化に向けての下準備でもある。

『活眼 活学』を読んで、このような考えを持つようになったのでした。

まとめ

この本の評価は文句なしの★5。

そこそこ品ぞろえのある本屋に行きましたが、安岡先生の書籍はあまり多く置いていませんでした。 あまり売れないのでしょうね。

世間の評価など気にしません。自分が良いと思ったものが良いものです。 今後も安岡教学を学んで行くことは確定です。

元来世間の人々は、長編論文なんていうものによって人生を渡るものではない。 大抵は片言隻句、即ちごく短い、しかし無限の味わいのある真理・教えによって、生きる力を得るのである。

学んだことを活かす。「活学」するためにも、古典にも挑戦し、片言隻句を片手に人生を渡っていきたいと思います。

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