マイケル・ピュエット著 『ハーバードの人生が変わる東洋哲学 - 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』
タイトルはどうにかならないものか
今回は早川書房の『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』という本を読んだので、その紹介である。
まず最初に一言。なんと品の無いタイトルだろう。 原文は「The Path - What Chinese Philosophers Can Teach Us About The Good Life」がタイトルである。
中国の古典でも「古の聖人が書いた」といった言葉で書物を神格化していたりする。 書物で人を感化するためには重要なのかもしれないが、ちょっと興ざめである。 「ハーバードの」という枕詞を付けるかどうかで売上が大きく変わるのだろうから仕方がない。 また、東洋哲学とあるが「The Path(道)」からも分かるように、この書籍は題材を中国古典に限定したものである。
人は誰でも現在進行中の現実への対処を求められる。だから、もっとも興味があるのはこれへの対処法だ。 そのヒントを得るために本を読んだりもするわけだが、古典ともなると時間的なギャップが数千年となったりもする。 そんな昔の考えが現在でも有効であるのかという疑問は至極まっとうだ。
社会は刻々と変化しているのだから、日々生み出される「新しい考え」にアンテナを張り、これを吸収しようという姿勢にも納得がいく。 だがしかし、これらの新しい考えのほとんどは数年以内に消える。単純に時代に合わなくなったというのが、理由の大半だろう。
その一方で、数千年語り継がれる書物がある。 時代が変わっても消えてなくならないのだから、時代を問わない本質を突いたものであるはずだ。 新しい考えを軽視はしないが、これこそ本当に学ぶべきものだろう。
しかし、古いことは事実であり、現代人にとって読みづらいことは確かだ。 だから現代語訳が必要となるのだが、そこには必ず訳者の解釈が入るので、ちょっと違和感を感じる時もある。
ならいっそのこと、異なる文化的背景のある欧米人の目を通して見たとき、 中国古典がどのように映るのだろうと考えて本書を手に取ったわけである。
心の支え
昨今メディアへの信頼は揺らいでいる。御多分に漏れず私もメディアを信用しなくなった人間の一人だ。 悲しいかな、何を信じれば良いか分からない世の中である。それでも人は心の支えを必要とする。
そこで登場するのが中国古典だ。 中国というところに引っ掛かりを覚える人もいるかもしれないが、歴史として日本文化は中国思想の大きな影響を受けている。 根本に立ち返ろうと思った時、中国古典は避けることのできないものなのだ。
本書を通じて読者は、近代のキリスト教的な立場から、伝統的社会である古代中国で生まれた思想を眺めることになる。 孔子、孟子、老子、荘子、荀子などが題材となっているが、テキストに深く踏み込むことはない。
丁度よい距離を取って、それぞれの思想の重要部分を押さえていく。 さすがに人気講義を書籍化したものだけあって解りやすい。 身近な状況と思想の結びつけが秀逸で、思想を生活に活かす術を学べるようになっている。 この辺りのことを踏まえて、「人生が変わる」なんて大げさな日本語タイトルが付けられたのではないか。
ベクトルの違い
西洋では幸福と繁栄のために計画を立てるとなると、理性に頼るよう教えられ、慎重に計算すれば回答に行き着けるとだれもが信じている 人生の不確実さに直面しても、感情や偏見を乗り越え、自分の経験を測定可能なデータに落とし込めれば、チャンスを自在にあやつったり運命に逆らったり できると信じることで安心を得る。
彼らは徹底的に考える。絶対的な正解があるという前提があるのだろう。例えば、思考実験として有名な「トロッコ問題」などについてもそうだ。
一方、古代中国の思想家はこういった思考実験に「日々の平凡な暮らしをどう生きるかになんの影響も与えない」と見切りをつけた。 たえまない自己修養に励むことにより、重大な局面であれ、ありふれた場面であれ、 個々の具体的な状況に対し同義にかなった正しい決断をくだせるようになれるはずだという方向に舵を切ったのである。
どちらが正しいというわけではない。徹底的に考え抜くという姿勢が今日の科学に支えられた社会を作り、我々もそれを享受している。 単なるベクトルの違いに過ぎず、「和魂洋才」という態度でも構わないのである。
外から内へ
世界は変わって行く。だから価値観なども変化する。ここ数十年で「お金が全て」なんて考えを持つ人はかなり減ったのではないか。 大企業に勤めていれば一生安泰だと考える人も減っただろう。「寄らば大樹の陰」と言っても、その大樹はどこにあるのか。
要するに、これまで絶対だとされてきたものへの信頼が揺らいでいるのだ。 そんな現代において、頼るべきものを外ではなく内に求めるのは自然なことである。 しかし、自分の内側にある軸が確かなものでないならば、なんの改善にもならない。実体がないだけにむしろ悪化することにもなろう。 だからこそ自己修養を積む必要があるのだ。中国古典は最高の教材であり、本書もその足掛かりには打ってつけだと言えるだろう。