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易の話

金谷治著『易の話』


【最終更新日】2020年12月19日

陰線と陽線

相場の短期売買においては、値動きの流れを掴むためにチャートを使う。 チャートには値動きを集約したローソク足を表示するのが日本では一般的だ。 ローソク足は、終値が始値より安いものを陰線、終値が始値より高いものを陽線と呼ぶ。

英語だと、それぞれ「Down Candle」と「Up Candle」という言葉が使われるようで、上下は直感的で最も解りやすい表現だと言えるだろう。 にも拘らず、日本では陰陽が用いられている。

このことに違和感を感じる日本人は少ないだろうし、 それだけ日本人に陰陽という概念が定着していると考えてよいだろう。 ちなみに、「線」の方はチャートの事を古くは罫線と呼んでいた名残だと思っている。

方向ではなくサイクル

トレンドを確認し、調整の動きを待って、トレンド方向に再び動き出したらエントリーする。所謂、押し目買い、戻り売りというやつだ。

言うは易し行うは難しで、実際にやってみると非常に難しい。 トレンド方向への動き出しがあって調整終了と判断しても、実際には調整が終わっていなかったというケースに頻繁に遭遇するからだ。

反トレンドの動きからいきなりトレンド方向への動きに転換するわけではない。 反トレンドの動き(価格の調整)が成立するためには、逆サイドの売買が必要になる。買いに対する売り、売りに対する買い。 双方がいないと売買が成立しない。 その意味で言えば、陰線の中には陽が、陽線の中には陰が存在している。 陰陽の力関係が逆転して、直近の状態が大きな流れに合致したタイミングがエントリーチャンスとなる。

逆転は、反トレンドのパワーが減少して限界に達したことにより起こる。時には力業といった動きはあるだろうが、凡そこのように考えて問題は無いだろう。

買い方と売り方の力関係までも考慮にいれると、上下よりも陰陽の方がしっくりくるのは、方向だけの話ではないためである。 また、上下ではなく陰陽を用いる背景には、繰り返されるサイクルの存在への着目もありそうだ。 つまり、方向としてではなく循環として捉えているということだ。

陰極まりて陽となし、陽極まりて陰となす

トレンド波の半値に勢いよくタッチして反発した時、安易にこの動きに乗ると痛い目に合うことが多い。 「勢いよく」がポイントで、これは「限界」とは真逆の意味を持つからだ。

半値なんてものは誰でも意識する価格で、トレンド再開を狙うトレーダーが待ち構えているポイントとなる。 そこへ勢いよく向かうというのは、「突破するぞ」という意気込みに他ならない。 何が言いたいかというと、

陰極まりて陽となし、陽極まりて陰となす

極まりて、つまり限界でなければ反転はしないし、同じ方向への値動きも永遠には続かないよということである。

易経

陰陽という考えに興味が沸き、その原点を探ってみると、「陰極まりて陽となし、陽極まりて陰となす」の出典は、どうも易経という書物であるらしい。

易経(えききょう)は、儒教で重要視される四書五経(ししょごきょう)という書物の1つ。

四書

  • 論語
  • 大学
  • 中庸
  • 孟子

五経

  • 易経
  • 書経
  • 詩経
  • 礼記
  • 春秋

五経は四書より格上とされ、易経は五経の筆頭であるそうだ。 ただし、「経」には縦糸という意味があり、思想を織物とすれば、五経が縦糸を、四書が横糸の役割を果たすことから、 双方欠かすことのできない要素と考え方がよいかもしれない。

ちなみに、この中でかの有名な孔子が自ら書いたとされるのは、易経の注釈部のみである。論語も孔子やその弟子たちの言行録を孔子の弟子がまとめたものであり、孔子自身が書いたものではない。

「易」は、易者の易と同じもので、要は占いのことである。 占いの書を重要書物の筆頭としている点にだけ注目するなら、儒教に対する不信感を抱かずにはいられない。

しかしながら、どうも易経には占いの書としての側面だけではなく、思想書の側面もあるようなのだ。 陰陽とその周辺にある考えに興味を持ったわけで、まさに知りたいのはこの思想の部分となる。

さぁ、易経の世界にダイブしてみよう。

易の話

手に取ったのは講談社学術文庫の『易の話』という本。著者の金谷治氏は、岩波文庫の『論語』の訳注もされている。

結論としてはアタリだった。「易経」の思想を知りたいと思っただけなので、それが何に役立つかは問題視しない。その内容は素直に面白かった。 この本を読んだ結果、題材である「易」への興味関心度合いは増した。「好奇心が満たされた」ではなく、「好奇心が増す」ことになったのだ。 これもこの本を面白いと感じた理由であろう。

構成は占い半分、思想半分となっており、こうやって易経の両側面からバランスよく解説した書物は少ないようだ。 詳しい内容に関しては、本書を手に取ってもらうことにして、私なりの視点で少し語ろう。

易とトレード

またトレードの話になって恐縮だが、 トレードは「将来のことは誰にも分からない」という現実の中で行う判断の連続だ。 この判断に誤れば虎の子の資金を失うことになるわけで、「将来のことは誰にも分からない」と「間違ってはならない」の板挟みになって心理的な重圧が発生する。 だからこそ、その重圧を軽減するためにあれやこれやと試行錯誤するのだ。

国の行く末を担う王様の行う判断はこれの比ではないだろう。 他国と戦争をする判断を下した結果、国民が100万人亡くなったとしたら、「間違っちゃいました。ごめんなさい。反省します。」で済むものではない。 その責任を取って王様の命を差し出しても帳消しには出来ない。

こういった判断は、到底普通の人間がひとりで担えるものではないのだ。 常軌を逸した重圧軽減のための試行錯誤が、人知を超えたものへと向かうのも自然な流れなのかもしれない。 自分より偉い人にお伺いを立てたくとも、王様はトップなのだ。 占い、つまり「天の声」を聞くといった手段が採用されることも理解できる。

パターン化

易の考えのベースには、陰陽の二元論がある。その組み合わせである384パターンの内のどれかが占いの結果として出る。 易経には384パターンそれぞれの名称と解説が掲載されており、 易者が語るのは相談内容に則したパターンの解釈とそれに基づくアドバイスという仕組みだ。

$$ 2^3 \times 2^3 \times 6 = 384 $$

2の3乗が所謂八卦である。それを2つ組み合わせたのが六十四卦で、最後の6はデータのどこに重きを置くかといったところだろうか。

ありとあらゆるもの全てを一と定義して、そこから分化して384パターンが作られるため、易にはこの世の全てが含まれることになる。 もしかしたら、この世以外のことも含まれるのかもしれない。眉唾物だが、そういう定義になっているのだから、理論上そうなる。

易経の中では「卦」という言葉が使われているが、我々に馴染みのある言葉で言えば、要はパターン化だ。そして私はどうしてもトレードとの共通点を探してしまうのであった。

チャートに表示されるデータの大元はティックデータであり、1つ1つの約定の記録である。 それを期間で集約したのがローソク足。ここまでを「ー」、つまり全てと考えてみる。 これは「相場」とイコールだ。 ここに例えば50日移動平均線を引き、価格との位置関係を考えると2パターンに相場の状態を分割できる。

  • 価格は50日移動平均線の上に位置している(陽)
  • 価格は50日移動平均線の下に位置している(陰)

更にここに200日移動平均線を追加すると、200日移動平均線を基準とした2パターンが生まれ、 その組み合わせは2の2乗となる。

こうやって相場の状態をパターン化していって、それぞれのパターンに対する解釈と行動指針を予め決めておく。 そうすることで、複雑怪奇な相場の動きに翻弄されぬようにするのだ。 実践では、現在の相場の状態を事前に用意したパターンに当てはめ、場当たり的な対応ではなく指針に沿った一貫した対応を実現する。

易もトレードも不確かな未来への対応を模索するもの。易とトレードが似ているのも当然なのかもしれない。

易は当たるのか

易はかなり奥の深いものでありそうだ。そして、我々日本人とも実は深い関係にある。 最初にも述べたが、陰陽を自然に受け入れていることからもそれは明白だろう。 それだけでなく、易経を重要書物とする儒教は、今日の日本の基礎を築いたとも言える。 長く続いた江戸幕府の御用学問は朱子学、明治維新を成し遂げた陰には陽明学があり、 昭和最大のフィクサーと呼ばれ「平成」の名付け親とされる安岡正篤も陽明学者だ。 これら学問は儒教の一派であり、易経と繋がっている。

古典の世界をもう少し探検してみようと思っているが、今ここで浅い知識のままに易経の内容に踏み込むことは避けたい。 しかし、最後にこれだけは触れておこう。易の占いは当たるのかという問題である。

その答えは、当たるも八卦、当たらぬも八卦ということになる。 これまたトレードと同じだ。

お後がよろしいようで。それではまた。

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